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あの夏をもう一度

pixiv公開日 2022年2月18日

イアソン+アルゴノーツ冒険本を出そうとして挫折し、書き終わっていたもの
イアソン+アスクレピオス 学パロ




「明日出掛けるぞ」
 クーラーの効いた生徒会室。健康に悪い、と控え目にさせてはいるものの、廊下と比べれば天国と地獄ほども差があるだろう、そんな夏の日だった。夏日だろうと変わらず暑苦しいくらいに騒々しい男が、手にしていた書類から目を離したかと思えばそう提案してきた。提案、とするにはこちらには拒否権がなさそうな口ぶりではあったが。
「一応聞くぞ。どうしてだ」
 こちらも書類をファイリングする手を休めて尋ねると、上機嫌によく通る声が返ってくる。よく手入れされているらしい金の髪が、暑さを感じさせない動きで揺れていた。
「今は夏だろう。そして明日は休みだ」
「ふむ」
 一つ、と仰々しく指を折るのに頷く。確かに、夏休みには少し早いが、明日は休日ということで校内は浮足立っている。目の前の男も例外ではない。
「そして俺はお前と遊びたい! 以上だ」
「そうか」
 続けて二つ、と指を折ってそれからイアソンはふんぞり返った。つまるところ特に理由はない、ということらしい。……まあ、別に友人と遊ぶのに理由が必要かといえば、一般的には違うだろう。僕も明日は特に用事もない。イアソンが出掛ける、というなら付き合うのも吝かではなかった。
「それで。どこに行く予定なんだ」
「もちろん! 海! だとも」

 次の日。
 朝食を食べながら天気予報を確認する。よく晴れる、と気象予報士が画面の向こうで笑っていた。夕立を心配して傘を持つ必要はなさそうだった。
 八時に駅に集合、とだけ決めていた。イアソンと出掛ける時は大抵時間と集合場所だけが決まっていて、他は状況に応じて動くということが多い。思えば、幼い頃からそういう風に付き合ってきたものだ。計画性がないと言えばそれまでであり、それでひどい目に遭ったことも一度や二度ではないが、あいつの提案に乗る方が愉快なことが多いとなれば、多少のリスクは気にもならない。大抵はなんとかなるのだから、別にいいだろうと僕も、きっとイアソンも思っている。
 スポーツドリンクを多めに持ち、タオルと財布をサコッシュに詰め、早く帰ってくるんですよ、という先生の見送りに頷きを返し家を出る。日差しは既に強くなりつつあった。雲ひとつ無い空。今度買い物に出かけた時には日傘を買うことを決意した。日焼け止めは塗ったものの、Tシャツでは心もとない。駅までの道のりを日陰を探しながら歩く。


 そういえば、昔にも同じような感じで海に出掛けたことがあった。
 今日と同じように、集合の時間と場所だけを決めていて。確かその時は小遣いも大したものではなかったからか、自転車で海へ行く計画だった。イアソンは地図を、僕は水筒を二つ。それからそれぞれタオルと小銭だけ持って、一時間もかけて海へ行ったのだ。今思えば無謀も甚だしい。まだ碌に道も覚えていない時分だ。行きは道も明るくて問題はなかったが、遊びすぎて帰りは暗く、結局道を一本間違えて迷子になった。誰も住んでいない廃屋の並びを必死に漕ぎ抜けて、木々のトンネルの隙間から月明かりが漏れてくるのを心細く思って、ポツンとあった民家に飛び込んだのだ。そういえばあの頃はまだ商業施設も少なく、夜が明るいと思ったことは一度もなかった。
 電話を貸してもらい、迎えが来るまで二人でずっと軒先で待たせてもらい。お互い口も開かず、風の音がうるさかったことを覚えている。保護者が到着したときには力が抜けた。
 僕は既にケイローン先生に養われていて、こっぴどく叱られたが、あいつはまだ両親が存命で、親に心配かけさせたとわんわん泣いていた。しばらく遊びに行くときは保護者の連絡がつく友人の家だけになったのも、二人とも日焼けで肌が真っ赤になったのも、今となっては大冒険の笑い話だが、今でもあいつはこの話をすると恥ずかしそうな顔をする。普段余裕綽々としたあいつが膝からくずおれる様は愉快極まりない。きっと墓場まで僕はあの夜を覚えているだろう。


 気が付けば駅前まで辿り着いていた。先に到着していたらしいイアソンが、待ち合わせ場所で軽く手を振っている。あちらもほとんど手ぶらと言っても過言ではない装いだ。いつだったか出掛けた時に買っていたTシャツの、とぼけた顔のキャラクターが小憎たらしい。顔に見合った服を買え。
「おはよう」
「おー、おはよう。一本早い電車で行けそうだぞ」
 時計を見れば確かに予定よりも少し早い。これからまた人が増えてくる時間帯であることを考えれば、さっさと電車に乗った方が楽だろう。
「ならそれに乗るか」
「切符はもう買ってあるからな」
 言いながらイアソンが切符を取り出し、改札へと向かう。海までの道のりは昔話でもするとしよう。
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