かつん。ボウルに卵をふたつ割り入れる。かき混ぜると見事な黄色が広がったそれに塩を少し。それから牛乳も目分量で注ぎ、また少し混ぜ、温まっているフライパンに広げた。
日曜日の午前。天気は快晴と言っていいだろう。雲一つない空に、初夏の太陽が存在を主張している。開いたままの窓からは、公園で遊ぶこどもたちの歓声と、小さな庭でのんきに囀る小鳥の音色。それから、花のにおいを運ぶ風がイアソンの少し伸びてしまった前髪を遊ぶように持ち上げる。
キッチンに立つイアソンは、部屋着代わりのスウェットのまま、腕を捲って昼食の準備をしていた。今日は珍しく同居人であるヘラクレスも休みであり、未だ布団で夢の中。いつも通りに起きてしまい暇を持て余したイアソンが昼食を作るのは、二人の休日が重なった日だけのことだった。
テレビをつけるとうるさいと文句を言われるだろうと予想して、スマートフォンから控えめに流した流行りの曲を口ずさみ、イアソンは手際よく自分の分のふっくらとろとろの卵とじをチキンライスの上に乗せる。丁寧にぱかりと割り開けば金色が滴るようで、イアソンはひとり相好を崩した。
ちらりと時計を見れば時計は頂点を指そうとしていた。そろそろ起き出してくる頃合いだろう。昨晩は彼にしては随分と夜更かしで、更に言えばここ最近はまとまった休みも取れていなかった様子だったから、イアソンからしてみれば朝寝坊はいっそ当然だろう、と特に起こしてやろうとも思わなかった。
買い物の約束もしていたが午後からでも十分に時間はとれるだろうし、と思いながらイアソンはもうひとつのオムライス作りに取り掛かる。少し冷めてしまったもう一つのチキンライスを温め直しながら、同じように卵液を作り、フライパンに流し込む。違うのは卵の焼き方くらいか。イアソンがふわふわとろとろのオムライスを好む一方で、ヘラクレスが好むのはややしっかりと焼かれた、昔ながらのといった風情のオムライスを好んでいた。作るのに苦でもないほどのこの違いは、イアソンにほんの少し、他者と暮らしていることを自覚させる。好ましさを感じる違いだった。
ややあって、寝室のドアが開き、寝癖をこしらえた長身の男が眠たげな表情のままキッチンを覗き込む。それなりの剛毛を持つ男の寝癖は実はめったに見られるものではない。昨日きちんと乾かさなかったんだな、と笑いつつ、イアソンはもう一つのオムライスを完成させた。
いただきます、とダイニングに二人分の声が響く。ヘラクレスがつけたテレビからは、昼のニュースの始まりのジングルが流れていた。速報です、と硬い声で読み上げるキャスターの声も、暖かい食事の前には無力だ。話半分に隕石の話題を聞き流す。
「寝癖は直って……ないな」
ちら、と見上げた黒髪の頂点付近は、常の跳ね具合を大幅に越え、そこで爆発でも起きたのかと思わせるほど。反面、頭の右側面はぺたりとしていて、そのアンバランスさが笑いを誘う。
「直らん」
「仕方ない、買い物には俺一人で出るか」
イアソンがくすくす笑いながら言うと、ヘラクレスは憮然とした表情で咀嚼していたものを飲み込んだ。
「……今日は二人で出かけるんじゃなかったのか」
「そんな愉快な頭をしてるようじゃ連れ歩くのは嫌だぞ俺は」
「一度、シャワーでも浴びるか」
「なんなら手伝ってやってもいい」
まるでおとなしい大型犬を洗うようで、目の前の男の髪を構うのは好きだった。なにより、学生時代も今も完璧で通っているヘラクレスが、イアソンの前では無防備に頭を差し出してくるというのは自尊心を擽る。そう思っての提案だったが、ヘラクレスもやはりそれを分かっているのか、イアソンのやや上からの物言いを特に気にした様子もなく唇を持ち上げる。
「買い物をしなくていいというのならお願いしたいが」
わずかに熱を漂わせたヘラクレスの発言に、イアソンは昨晩背中につけられた噛み傷の痛みを思い出した。ついで、細められた金色の眼差しを。思えばこのオムライスくらいとろとろだったな、と考えてしまったところで、食事時に考えることじゃない、と首を振る。
「……やっぱ一人で入れ。体力が持たん」
「そうしよう」
してやったり、という表情を浮かべるヘラクレスは、綺麗にイアソン特製オムライスを平らげて、満足そうに笑っている。