細く長い指先が、ゆるりとグラスの表面をなぞっていく。いつか俺に手をさしのべてきた時と変わらない、美しいとも表現できる手。
まだ出会ってすぐの頃、女みたいっすね、とつい口滑らせた時、この人はニヤと笑って、素直なのは良いがお前それで損するタイプだろ、という忠言をしてくれたことを思い出す。実際、拾われる前のゴタゴタはこの口が原因だったもんだから、以来、注意をするようにはしているが……まあ、荒事も得意にはなってきた。ので、打ち捨てられてるところを拾われるような無様は多分晒さないだろう。多分。今の荒事の半分以上は目の前の、今はウイスキーを舐めている男が原因ではあるけれど。
夕焼けのような眩しさのある瞳。さらりと揺れる金髪に、くるくる良く変わる表情と良く回る口。女を泣かせるより前に刺される方が多い、うちの店のナンバーワン。俺の視線に気が付くと、にやりと目を細め。もっと近くに寄るよう長い指で手招いてきた。こういう時は素直に寄って行った方がいいのだと、俺はとっくに教え込まれている。
「イイ子だな」
番犬にでもなるか、と拾われた。既に守護神みたいなのを引き連れていたくせに。キラキラした笑顔がこの人からの一番の報酬で、今もそれは変わらない。だから、これ以上をほしいな、とも思ってなかった。二人がお互いにお互いが特別で、一番なのだとよく分かっていて、そこに入り込む余地がないことだって、なんなら言葉を交わす前から知っていた。ただ、拾ってくれた恩は返したかった。必要だと、居場所をくれたのは、嬉しいことだったから。
それがいつの間にか、こうやって自室に上げてサシで飲むようになっていた。そこそこ広めのワンルーム。風呂トイレ別とはいえ、この人がいるのには違和感しかない。そもそも二人きり、なんて。今でもそれを認識すると胃が痛い。二人掛けのソファのど真ん中、に座るこの人はイメージぴったりではあるけど。この人が来るようになってから揃えたグラス。ピカピカの食器。氷も空気が入らないように作れるようになった。酒は店では飲まないような安いやつだけど。それでも、それがいい、とこの人が言うならそれでいいんだろう。
ソファの隙間に入り込むように座ると、自分との違いが良く分かる。俺の方が体温は低い。向こうの方が足も長いし体の厚みは薄い。高そうな香水の微かな匂い。目線の位置はあまり変わらない。きめ細かな肌。軽くワックスで調えているらしい髪。俺の使ってるやつよりずいぶん軽そうだった。
それから例の、指が。俺の固めた髪をほぐすように頭皮を撫でていく。グラスを傾けながら、まるで片手間に犬と遊ぶように。身動きもとれないまま、俺はそれにただ応じる。指、ベタつかないのかな、なんて思いながら。
思い返せば、初めてこの部屋に上げたときからの習慣みたいなものだった。店や他の場所ではあり得ない距離感で、あり得ないことをされる。他人に話したことはない。話せるはずもない。指先で弄ばれている、なんて、変な誤解をされかねない。
やがて指は顔に触れ、耳に触れ、首筋にたどり着く。普段よりもしっとりした指先が。……俺の、愛用しているワックスの香りを漂わせた人差し指が。グラスに触れたように、首筋をたどり上げ、喉元をくすぐる。こうなると声を上げそうになるのを抑える方が難しく、自然と鼻にかかったような声が出る。まるで舐め上げるような指先は、意識すればするほど生暖かく、自在に弄んでくる。悪趣味だ。本当に、何が楽しいのか。それでも目の前の男は楽しげに愛撫を重ねる。長くまっすぐな睫毛が揺れている。星がこぼれるんじゃないか、とこの笑顔を見る度思ってしまうのは、いっそ詐欺だ。こぼれるのは客の情念と金だ。
いつの間にかグラスはテーブルに置かれていて、俺はくたりとソファの背もたれに背中を預けていた。喉をくすぐっていた指先も、今は離れている。
上擦る呼吸。足の先まで力が入らない身体。
犬さながらの状態の俺を見て、満足そうな唇。その唇が、俺の名前を呼ぶのを、待っている。